日々感じたことを書き綴ってます


by accomarie
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11月の映画@橋本 Salji

次回のDining Bar Salji(JR&京王線橋本駅から徒歩3分)での、映画&ディスカッションは、11月30日(日)16時〜です。

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# by accomarie | 2008-11-30 16:00 | hashimoto
裁判員制度に反対するデモが11/22、仙台、東京、福岡で行われたようです。
私は東京のデモに参加したかったのですが都合が合わなくて参加できず残念でした。この制度がスタートしてしまうまであと半年。とにかく反対の声をあげることが必要だと思います。この制度に疑問を抱く人が少しでも増えることを期待します。自分には関係ないと思っていて見過ごしていてはいけません。一度スタートしてしまえば、あなたにも私にもいつかは「通知」が届き徴集される可能性があるのです。そしてそれは簡単には辞退できません。そのときになってから反対しても遅いのです。

来年5月から始まる裁判員制度に反対する弁護士や市民らが22日、仙台市、東京、福岡市で集会を開き、繁華街などをデモ行進した。反対行動は2月の日弁連会長選で制度廃止を主張した高山俊吉弁護士らが呼び掛けた。28日に裁判員候補者名簿に記載された人へ通知が送付されるため「通知が届いたら、勝手に名簿へ載せたと抗議しよう」などと訴えた。
 約600人が参加した東京都千代田区の集会で、新潟県弁護士会の高島章弁護士は「人を死刑にする権力を国民に担わせる制度だ」と批判し、漫画家の蛭子能収さんも「自由を束縛するので反対」と指摘。
 その後、約250人が銀座などをデモし「裁くことを押しつけるな」などと声を張り上げた。
 福岡市中央区天神の公園には弁護士や市民団体メンバーら約30人が集合。大分県豊後大野市の益永スミコさん(85)は「いや応なしに集められ死ぬまで秘密を守らせる制度は戦中と同じ。もうあんな思いはしたくない」と話した。制度をPRする検察庁のキャラクター「サイバンインコ」に対抗した着ぐるみ「裁判員制度はいらんインコ」も登場。参加者と一緒に天神をデモした。
 仙台市の弁護士会館に集まったのは約90人。東北大の小田中聡樹名誉教授は「裁判官らが主導・管理する司法に国民を強制的に動員し、被告に裁判の受け入れを強制する巧妙なシステムだ」と批判した。

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# by accomarie | 2008-11-23 00:31 | 雑記 Mon cahier

裁判員制度に反対します

国民が刑事裁判に参加し、裁判官と一緒に審理、判決を決める裁判員制度は、来年5月21日の法施行まであと半年に迫った。既に来年の裁判員候補者名簿が作成され、今月28日には全国30万〜40万人に名簿記載通知が発送される。
(11/21Yahoo!ニュース)


11月28日から裁判員候補者名簿記載通知が発送されるそうです。いよいよ具体的に近づいて来たというわけです。私の会社でも「もし裁判員に選ばれたら」という話がありました。みんな「やりたくないけど、選ばれたらしょうがない」と言っていましたが、どうして「しょうがない」と諦めてしまうのでしょうか?
私は裁判員なんてやりたくありません。


Q 周囲に裁判員になったと話してもいいか
A 裁判員になったことを公にすることは法律で禁止。上司や家族、親しい人らに話すのは構わない。ブログに書き込むのは禁止

つまり、家族や友達、上司だけに「裁判員に選ばれてしまいました」とこそこそ伝えなさいということです。そうはいっても私のような会社勤めをしている者が平日に最短3日間休みをとるということは、必ず同僚や関連する人々に何かしらの迷惑をかけるのです。そして迷惑をかけるのに堂々と伝えてはいけないということは、非常に肩身の狭い思いをすることになります。


Q 法律の知識がなくても大丈夫か
A 構わない。有罪か無罪かの判断の前提として法律知識が必要な場合は、その場で裁判官が説明する

法律の知識もないのに、人を裁いていいのですか?
法律の知識もないのに裁く意見は、どうしても個人的偏見や感情論に流されがちですが、それでいいのですか?
法律知識を説明されることで、自然と裁判官の意見に誘導されることはないのですか?
裁判官が法律の説明をしてまで、素人を裁判員として参加させる意義は何なのですか?

裁判員制度で、国民にとってのメリットはないと思います。

問題のある判決になった際、裁判所側に「国民が参加して決定したのだから」と言い訳させる口実になるだけです。

裁判員の多数決があっても実際に最終決断を下すのは裁判官であり、また、素人である裁判員たちに法律や一般的な量刑などを示唆しつつ、今までと変わらない一般的な量刑に誘導していくのも裁判官なのです。


Q 「選任手続期日のお知らせ」を受けたのに行かなかったらどうなるか
A 正当な理由がなければ10万円以下の過料に処せられる

一方的に選抜されて、一方的に徴集されて、拒否権はないのですか?
「罰金を払ってでも裁判員になりたくない」と宣言する人も少なくありません。
裁判所は、国は、なぜ罰則をつくってまでも、嫌がる素人を裁判員にしたがるのですか?なぜですか?


Q 評議を尽くしても意見が一致しなかったら
A 多数決で評決。ただし、有罪とする場合は裁判官1人以上が有罪とする多数意見に賛成することが必要

死刑反対論者であっても、たとえば裁判員6人のうちに死刑賛成派が4人いた場合は、「死刑」と決まってしまうということですね?そうなれば、自身も人に死をくだした人間ということになります。


Q 裁判員に課せられる守秘義務と罰則の中身は
A 非公開の評議で誰がどんな意見を言ったか、さらに職務上知り得た事件関係者のプライバシーや他の裁判員の名前などをもらすと、6月以下の懲役または50万円以下の罰金。公開法廷で見聞きしたことは公表してもかまわない

友達や職場の人はもちろんのこと、親や子、夫婦間でもらしても「罰則」ということです。この守秘義務に期限はなく、一生続くとのことです。一生誰にもしゃべってはいけないだなんて、まるで自分が秘密の犯罪を犯したかのようです。


Q なぜ守秘義務があるのか
A 後で批判されることを恐れて自由な意見が言えなくならないようにするため。公判終了後も守秘義務は続く

誰から批判されるのでしょうか? 被告には守秘義務はあるのでしょうか?裁判員は、公判では裁判官と一緒に壇上に座り被告を見下ろして質疑応答などを行ったりしますが、有罪判決に加担して、被告に顔を覚えられて恨まれる(のちにお礼参りされる)ことのほうが恐ろしいです。余程自由な意見が言えなくなります。

間もなく、通知が届き始めるようですが、自分に届かないことを祈ります。もし自分に届いた場合は、裁判員の候補者になったことをブログや投書などできうる限り不快感と抗議の意思を表明するつもりです。

私はこの裁判員制度の話を知った時から反対でした。しかし法律で定められてしまったものだから反対はできないのかと諦めている面がありました。しかし調べてみると、反対している人たちは多いのです。諦めずに廃案になるまで、反対しましょう!

11月22日には銀座で裁判員制度反対デモがあるようです!!
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# by accomarie | 2008-11-22 01:40 | 雑記 Mon cahier

10月の映画会at 橋本Salji

10月26日(日)16時〜、Dining Bar Salji(JR横浜線 橋本駅より徒歩2分)で、映画の上映がありました。

ちらしをダウンロード


more infomation in English
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://www.tokyospring.org/springhashimoto.html
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# by accomarie | 2008-10-26 00:00 | hashimoto
1年前、安倍さんの突然の辞任の時も驚いたけれど、驚いたことに今年もまた9月に総理が突然辞任。
政治家には本当に呆れる。安倍さんがあんな情けない辞め方をしたにも関わらず何事もなかったかのように政治家を続けられるのだから、きっと政治家にとっては途中で投げ出すことは無責任でもなんでもないことなのだろう。例えば私たち庶民が職場などで「この役職にはもっとふさわしい人がいると思うので辞めます」と途中でポストを投げ出したら、まずその職場にはいられなくなる。政治家って途中でやめてもまた復帰出来るからお気楽だよなと思う。

次の総理は、次の自民党総裁選で選ばれる人。政治家たちが決める。
一国の首相が変わるそのとき、私たちの声は反映されない。

現与党は3年前の総選挙で国民の大多数が支持した政党かもしれないけど、その間、たくさんの不祥事や失言があり、不透明な年金問題があり、極めつけに情けない投出辞任をした首相が二人もいるのだからその当時とは国民の考えも異なっているはずだ。

無責任な辞任をするのなら、解散総選挙をして、国民の審判をうけるべきだと思う。
政治家達の駆け引きだけで首相が辞めたり就任したりする。国民は蚊帳のそと。
こんなことだから、選挙なんて行っても行かなくてもどうせ同じという政治無関心の若者が生まれる。悪循環。
この国の政治家は本当に国民を馬鹿にしている。
こんなにも馬鹿にされていることに気づいていない国民も多すぎる。

一国のトップが交代するのなら、国民の声(解散総選挙)をきくべきだ!
(選挙に当選したのち、政党を変えて議員を続ける人もいるけど、あれも国民を馬鹿にしていると思う)
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# by accomarie | 2008-09-02 00:37 | 雑記 Mon cahier

高知白バイ事件


False charge at KOCHI,JAPAN
On the 3rd of March,2006.Kochi prefectural police fabricate evidence due to the accident that the speed-cop's motorcycle collided with the kiddie car.The cop died.and Driver Haruhiko Kataoka becomes a false charge.


2006年3月、高知県春野町の交差点で、スクールバスと白バイが衝突し、白バイ隊員が死亡した。 バスのドライバーは業務上過失致死罪で起訴され、一審は禁固1年4ヶ月の実刑判決が下った。被告側は冤罪を主張し、最高裁に上告していたが、2008年8月22日、上告棄却。

事故は道路脇の駐車場から出たスクールバスが、右折しようとした所、中央分離帯付近で右方向から来た白バイと衝突したというもの。

■被告側の主張
【 中央分離帯付近で停止し、反対車線の車が途絶えるのを待っていた所、白バイが突っ込んで来た 】

■検察側の主張
【 片岡被告が白バイに気付かないまま車道に出、時速5-10キロで走行中に白バイと衝突→急ブレーキを掛け、白バイを凡そ3メートル引きずりながら進んで停止した 】


この事件のことは、つい最近、きっこのブログで知ったばかりなのですが、そこで紹介されていたテレビ朝日の「テレメンタリー」をみて、これは冤罪なのではないかと怒りにふるえました。

スクールバスに乗っていた生徒及び後続の乗用車を運転していた教師は、「衝突前、バスは急ブレーキはもちろん、動いていなかったと証言しています。
また、この事件を目撃した第三者は白バイは時速100kmは出ていたと証言しているのですが、裁判官は「関係者の証言は信用できない」「素人のスピード目測は信用できない」と、地裁・高裁において弁護側が提出した証拠はすべて棄却し、事故の目撃者の証人喚問を要求も認めませんでした。
しかしその一方で、約200mも離れた地点を走行中に目撃したという同僚白バイ隊員の「時速は60kmだったと思う」という証言は「白バイ隊員は日常から目測の訓練を行っているので信用できる」と証言採用しているのです!これで公正な裁判といえるのでしょうか?

バスが動いていた証拠として、検察側は「1mのブレーキ痕の写真」を提出。
しかしそれは撮影時間、タイヤの溝がないなど、不自然な点の多い写真で、警察による捏造疑惑が浮上しました。プロである交通事故鑑定人もその不自然な点を指摘しています(その資料も裁判では「不自然な点も見受けられるものの、すでに証拠については十分審議した」という理由で審議さえされなかった)

また、この事故前に、白バイの追尾技術を上げるため、路上走行を行うようにという内部お達しが出ていたという情報もあります。この事故現場近辺では、追跡ではないのに高速走行をする白バイが目撃されていました。

8月22日、最高裁が上告を棄却し、刑が確定しました。
そのためか、ネット上にたくさんあったテレメンタリーの動画は現在全て削除され閲覧できなくなってしまっています。

動画は見ることができませんが、画像を利用しわかりやすくまとめてあるサイトです

http://k1fighter2.hp.infoseek.co.jp/Enzai/Kochi/EnzaiKochi.htm#top

KSB瀬戸内海放送の動画はまだ見ることができるようです。
(①-⑤2007年10月、⑥・⑦2008年01月放送分)
http://www.ksb.co.jp/newsweb/indextable.asp?tid=4&sid=7

冤罪事件を扱った映画「それでもボクはやってない」ではありませんが、警察にも裁判所にもコネのないわたしたち一般市民はこうした事件に巻き込まれたら、正しく裁いてさえもらえないのでしょうか?裁判員制度が始まれば変わるのでしょうか?いや、この事件の場合は、「無実を訴える弁護側の証言」を法廷に出すことさえ拒まれているわけですから、市民の裁判員がいたとしても彼らだって検察有利の資料だけをみれば疑いなく「有罪」と判断してしまうことでしょう。

片岡晴彦さんのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954/MYBLOG/yblog.html

片岡晴彦さんを支援する会HP
http://www.geocities.jp/haruhikosien/
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# by accomarie | 2008-08-30 23:21 | 雑記 Mon cahier
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# by accomarie | 2008-07-25 18:05 | 映画 Le film
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世界で起きている民族紛争のほとんどは、宗教的対立で民族的対立で、「平和な」日本に生まれ育った日本人の私には残念ながら理解しようとしても根本的理解は難しい。
そして、(遅ればせながら)今日見たこの映画で知ったのはさらに理解の難しい対立だった。
ルワンダ紛争のツチとフツ。異民族ではないからほとんど見分けはつかないし、言語も宗教も異なるわけではない。あるのは、かつて宗主国ベルギーによって優遇されたツチがフツを迫害していたという歴史、そしてお互いに相手に対し憎しみを持ち、クーデターやジェノサイドで繰り返される報復につぐ報復の歴史。
虐殺された死体に群がる野犬をshootingすることはできても、国連事務総長の命令がなければ襲撃してくる暴徒を銃で制止することもできないという国連軍。かつてユダヤ人を匿った祖父母を誇りに思うと言いつつも、自身は上からの命令通り、撤退=国連軍を頼って避難してきたツチ住民を見殺しにするベルギー部隊の隊長。国連軍の任務は平和を推進することではなく平和を監視することなのだそうだ。国連軍というのはなんて他人事な組織なんだろう。為政者の「命令」でしか動けない忠実なロボットである軍隊にとっては庶民の人命なんてどうでもいいものなんだろうか。
植民地政策時代の身分差別がひきがねなのに、いざ自分たちに火の粉がふりかかってくれば、「ルワンダのことはルワンダ人にまかせればいい」とさっさと逃げてしまうヨーロッパ人。白人が死ぬボスニア内戦では心が痛んでも、黒人が死ぬルワンダ紛争ではダメージが少ないと告白する白人ジャーナリスト。自国民だけを避難させるためにやってきたフランス軍のトラック。
この作品は、神父、若い教師、ツチの若者、フツの生徒、国連軍、ジャーナリストと様々な立場の人間のそれぞれの心情を適度に描くことで、紛争自体よりも、国連軍の紛争介入の姿勢や白人ジャーナリズムのありかたなどを見る者に強く問題提起している。私は白人目線にはなれない。私の気持ちはマリーをはじめとするフツの人々にあった。映画では国連軍が撤退したあとの状況を描いていないけれど(それはきっと映像にするには残酷すぎるだろう)、あのあと、学校内の人々はナタを持って襲撃してきた民兵の前になすすべもなく殺されていったのだろうか。もし自分があの状況で校内に残されたとしたらどうなっていただろう?
国連軍には見捨てられ、白人には逃げられ、ナタを持った暴徒が押し寄せてくる。しかし彼らは組織化されていないし、武器の大半は銃ではなく、あまり切れなそうなナタ。味方側は400人の老若男女。きっと、無抵抗にただ殺されるよりは最後の最後まで徹底抗戦をしたいと思うだろう。

暴力に対して暴力で反抗することは連鎖しか生まない、暴力の連鎖はどこかでとめなくてはいけないと私は考えるほうなのだけれど、あのような極限状態にあってそんな理想論は言っていられない。

学校に取り残された人々はミサで神に祈りをささげ、神の愛に救いを求めていたけれど、神様に祈っても虐殺はとめられない。

映画前半では頑にミサ命だったクリストファー神父が後半ではすっかり表情が変わって、悟りを拓いた聖者のようなかなしい目で現地残留の決意を告げるシーンでは思わず感動してしまったけれど、聖なる行動で非暴力を貫いても、そのまま殺されてしまっては残念ながら世界は変わらないのだ。

もし私が学校内に取り残されたら、やるかやられるか。きっと戦う。民兵の武器を奪って何人か殺せれば上々。...ああだめだ、私には非暴力の思想は難しい。殺しには殺しで報復を。こうやって血で血を洗う憎しみの戦いは続いていくのだろう。

キリストは頬をぶたれたら、もう片方の頬もさしだせと言ったんだっけ。ほんとうに敬虔なキリスト教徒は反撃しないで無抵抗に殺されるのを選ぶのだろうか。クリスチャンでない私にはそれもわからない。

何がいいんだか。どうすればいいんだか。自分なりの答えもみつからない。また非常に考えさせられる映画をみてしまった。
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# by accomarie | 2008-07-24 00:33 | 映画 Le film

はじめてのうたごえ喫茶

うたごえ喫茶に初めて行ってみた。
うたごえ喫茶とは、1960年代の学生運動華やかなりし頃に全盛を極めた飲食店の一形態で、リーダーの音頭のもと、ロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲などをアコーディオンやピアノの伴奏に合わせて店内の客全員で歌う店である。
1950年ごろ、新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の走りになったらしい。

大衆の中から自然発生的にわきあがる歌声、ロシアのかおり、学生運動に労働運動、どれも私の好きなものであり、何やら憧れめいたものがあったことは否めない。

期待に胸をふくらませ勝手に妄想をたくましくして初めて足を踏み入れたうたごえ喫茶。
しかしそこは私の想像とは全く違うところだった。
ゴーリキーの「どん底」のような地下にある薄暗いロシア居酒屋ではなく、どちらかというと、明るい電灯のもと見通しの良い健康的な沖縄食堂のようだった。政治を憂うパワーというよりは、非常に牧歌的健全かつ懐古主義的な郷愁ばかりを感じる場所だった。

入店したからには、歌本(どうして歌詞だけなんだろう?譜面が載っていれば知らない曲でも歌えるのに。世代の違う人間に不親切だ。)を借りて何曲か一緒に楽しく歌いはしたけれど、個人的には幻想が破れた夜だった。60年代もあんなに牧歌的だったのだろうか?
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# by accomarie | 2008-07-20 23:48 | 雑記 Mon cahier
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Michael Collins


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The Wind That Shakes the Barley


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A star Called Henry

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# by accomarie | 2008-07-14 01:49 | 映画 Le film